column for the newspaper_7


山陽新聞夕刊『一日一題』連載第7回(全7回)
2015年11月30日


晩秋の休日、暖かな日差しに誘われて夫とともに沙美海岸へ行った。
シーズンオフの海水浴場では、釣りをする家族、犬の散歩をする夫婦など、みな思い思いに過ごしている。空は高く、波も静かで、コンビナートの煙突の向こうに、遠く瀬戸大橋の形も捉えることが出来た。内海特有の穏やかな風景はいつも心を和ませてくれる。
しかし、海は時に違った姿を見せる。私がこの町に越してきた日は、大型台風が中四国を襲った翌日だった。海岸沿いの道には水浸しの家財道具や畳が山と積まれ、これってニュース映像で見たことのある被災地ってやつ?と目を疑った。1週間後にも台風が上陸。暴風警報の中、義母と雨戸を引っ張り出し、停電するかもしれないと慌てて炊いたご飯でおにぎりを握った。新しい土地の手荒な洗礼に、とんでもない所に来ちゃったなと言う思いと、これから始まる暮らしへの期待感が交錯したことを覚えている。
あれから10年が過ぎ、昨年、倉敷市が保管している古い写真資料をリサーチ中のこと。昔の水害を記録したアルバムの中に、女性たちが寄り集まって炊き出しの準備をしている一枚があった。大変な状況にも関わらず、手を動かす女性の顔には微かに笑みが浮かんでいる。
ああ!こうやってみな、日々を続けていくんだなと思った。災害だけでなく、家族、仕事、コミュニティ・・・生きているだけで様々な出来事が起きる。なんとか乗り切っていくうちに、家族なりの生活信条が育まれ、幾重にも重なり、地域の個性となる。それが今を生きていく拠り所であり、未来を照らす光になると信じたい。
今日も明日も、波間にたくさんの光を漂わせながら、瀬戸内海はのどかに島々と私たちを浮かべて、キラキラしている。(終)