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山陽新聞夕刊『一日一題』連載第1回(全7回)
2015年10月5日

結婚を機に岡山県にやって来て11年が過ぎた。嫁ぐまで訪れたことのなかったこの土地には、あちこちに風情ある町並みが残されている。私が暮らす倉敷市玉島地区もその一つだ。
むかし「玉のように美しい島々」と和歌にうたわれたこの町は、江戸時代に瀬戸内海の寄港地として大きく発展した。今もその時代の建物に住む人々がいて、日々を送っている。
ある時、道を歩いていると、あったはずの古い家がすっかりなくなっていることに気づいた。またしばらくして、地場産業を担っていた会社がなくなったとも噂に聞いた。そして一軒また一軒と、建物が取り壊されていくのを見た。いつもあっという間の出来事で、写真を撮って記録を残す余裕も与えてくれないほどの早さだ。それはただ形がなくなったというだけではないように思えた。その中で営まれていた商売、家庭で育まれていた文化、隣近所と調和した家並み、そうした普通の生活がつくる目に見えない町の雰囲気が、そこだけぽっかり穴が開いたように失われ、更地として逆に目にハッキリ映るようだった。
新興住宅地で育った私にとって、先祖代々この土地に住む人が多いことは、玉島地区の特徴の一つだと感じる。四代目五代目がそれぞれの家業を続け、祭りやイベントなど地域活動を通して、町並みや生活文化の伝承に努めてもいる。しかし一方で高齢化は避けられず、急速な社会環境の変化もコミュニティの継続や世代交代を困難にしている。そしてそれは他人事ではなかった。私の家族も古くからこの町に住み、家は築百年を優に超えていたからだ。「この家どうする?」が全てのはじまりだった。